治療中でもPTA役員をやめられなかった私
あなたが無意識に背負っている「役」、降りてみませんか?
こんにちは。ドラマティックライフクリエーターの花村きみよです。
「私が頑張らなきゃ、家庭が回らない」「頼れる先輩でいなきゃ、職場に迷惑がかかる」「いいお母さん、物わかりのいい妻でいなきゃいけない」。仕事でも、暮らしでも、誰かに頼まれたわけでもないのに、いつの間にか「完璧な役割」を背負い込んで息苦しくなっていませんか?
前回の記事で、空回りの原因はスキルの不足ではなく「心と言葉のズレ」にあるとお話ししました。今日はその続きを少し考えてみたいと思います。
なぜ私たちは、心とことばのズレを抱えてしまうのか。私の考えは、他人の期待や顔色という「目に見えない空気」を読みすぎて、自分ではない誰かの「役」を無意識に、必死に演じ続けているから、というものです。10年前の私は、まさにその「配役の呪縛」に命がけでしがみついていた、筋金入りの頑張るマシンでした。
抗がん剤治療中も、PTA役員と介護を抱え込んだ異常事態
当時の私は、「私が一生懸命やればすべて何とかなる」「悩む暇があるなら動け」と本気で信じていました。手帳の予定は15分刻み、30分刻みでテトリスのようにびっしり埋め、仕事も家事も人付き合いも全力投球。その結果、何が起きたか。身体が何度も強制終了することになりました。
まずアキレス腱を完全に断裂しました。足首がまったく動かないのに、痛みさえ感じないほど私の感覚は麻痺していました。(ちなみに、サッカーのベッカム選手がアキレス腱を切ったのと全く同じ日だったというのは私の持ちネタです・笑)。
さらにその手術と治療の最中、今度は乳がんが見つかりました。さすがの私も目の前が真っ暗になりましたが、そこで立ち止まるどころか、なんと「戦闘モード」にギアを入れてしまったんです。手術、抗がん剤、投薬、分子標的薬、放射線治療というフルコースの治療を受けながら、家事も、仕事も、子育ても、PTA役員も、介護も、すべて自分でやり続けました。
「人に頼る」「休む」という選択肢は、私の頭の片隅にすらありませんでした。今振り返れば、ある意味狂気の沙汰ですよね。命の危機に直面してなお、私は「弱音を吐かない強い母」「責任感のある役員」という配役を降りることができなかったのです。
「休んだら存在価値が消える」という無意識の恐怖
なぜ、身体が悲鳴を上げているのにやめられなかったのか。心理セッションをお伝えするようになった今思うと、それは、休んで立ち止まってしまったら、自分の存在価値そのものが消えてしまうような恐怖を、無意識に抱えていたからです。
「役に立つ自分でいなければ、愛されない」「何かができる自分でいなければ、ここにいてはいけない」。そんな思い込みを握りしめていたからこそ、役割という鎧を着込んで、自力だけで突破しようとし続けました。
けれど、現実は無情です。私が歯を食いしばって頑張れば頑張るほど、家族の問題は階段を転げ落ちるように悪化し、人間関係の摩擦も増えていきました。現実が音を立てて崩れ落ちたとき、私はようやく降参できたんです。「もう、私の力だけではどうにもならない」と。
「人に頼れない」の正体は、深い不信感だった
どん底の中で臨床心理士監修のマインドワーク®(基礎心理学講座&習慣化ワーク)やヒプノセラピーを学び、長年の謎が解けました。「すべて自分で背負い込んで解決するのが大人の責任感だ」と信じていた私の内側にあったのは、美徳などではなく、深い不信感だったということです。
私の場合、誰にも頼れないということは、裏を返せば「周りの人を誰も信用していない」ということでもありました。そして何より、「何もないありままの自分」を、私自身が一番信用していなかったのです。
頼ることを自分に許せない。休むことを自分に許せない。その頑なな握りこぶしを少しずつほどき、「助けてほしい」と言えるようになったとき。「今日は休んでいい」と自分に許可を出せたとき。あれほど泥沼化していた周囲の問題が、嘘のように少しずつ小さくなっていきました。
そして、不思議なことが起きました。背負い込んでいた余計な役割を手放し、自分の稼働時間を半分にしたのに、仕事の収入は以前の倍に増えたのです。必死に演じていた役割を降りて、自分の中心に戻ったからこそ、本当に届けるべき価値に集中できるようになった結果でした。
その重い荷物、本当にあなたのものですか?
目に見えない空気を読んで他人に合わせることや、人の気持ちを察することは、決して悪いことではありません。でも、その優しさを「自分をすり減らす配役」を演じ続けるために使い続けなくてもいいんです。
あなたが今、必死に背負い込んでいるその役割。それは本当に、あなたが自分を削ってまで演じ続けなければいけない役でしょうか?
完璧ないい母でいようとするのをやめても、家庭がすぐに壊れるわけではありません。完璧な先輩でいることを手放しても、周りと相談しながら仕事を回していくことはできます。私は、できない自分を見せても、価値が1ミリも減らないことを、後になって知りました。
だから、まずは、背負いすぎた荷物をひとつ、現実の行動の中で下ろしてみませんか?「今日は疲れたから、夕飯の準備を頼むね」と言ってみる。「これ、私一人では抱えきれないので手伝ってください」と伝えてみる。配役を降りてみたとき、私の毎日は驚くほど身軽になり、本来の自分らしい人生が動き出しました。
あなたが今、本当はもう降りたいと思っている「重い役割」は何ですか?今日手放せる小さな我慢は、どんなことでしょうか?もしよかったら、自分に問いかけてみて、思い浮かんだことを教えてくださいね。
今日も、あなたがあなたの人生の中心に立てますように。

